かぼちゃの悲しい哲学
カボチャにも
壮絶な哲学があると思っています
昔(小学生の頃)
NHKの人形劇で 「チロリン村とクルミの木」という番組を見ました
チロリン村に住む「野菜族」と「果物族」のお話です
そこでは時々2つの族で言い争いが行われます
トマトさんは 果物か? 野菜か?
自分は子供ながらに トマトって良いな~ どっちにも入れる♪
そんな解釈をしていました
その中の挿入歌で かぼちゃさんの歌(?)だったでしょうか、、
その歌が大好きで 今でも畑で歌っています
かぼちゃさんには~♬ かぼちゃさんには~ 何が大切な、の、か~♬
そりゃ~ツルだ~♬ そりゃツルだ~♬
ツルがなければ 育ちゃせぬ~♬ そ~だ~ちゃ~せ~ぬ~♬

それほど大切なツルを
今、この年になって
あらためて 実感しています
ツルが伸び 親ヅルから子ヅルが出て
子ヅルから孫ヅルが伸びてきます
子ヅルや孫ヅルにカボチャが着果し、
そのなかには 自分に水分や栄養分を送ってくれる、
親ヅルの上に出来るものもあります
すると、、
十分に育つ前に
カボチャは成長が止まり 腐って消えていきます
この現象を農家さんは
「自分の親を守って 子供が自らの命を絶つ」とおっしゃいます
自分は
「親が 自分と ツルの先に着いた他の子供(かぼちゃ)を守るため
上に乗っかった1個の子供を犠牲にする」 と、反論します
まるで、、
哲学です
昔(中学生~青年期まで)に哲学の本も読みましたが
難しく言葉を並べてはいるものの、
つまるところは 「生を論じ」 「死を論じる」
そこにたどり着く話のように思えて読むのをやめました
悲しい気持ちになるのが嫌でした
でも
家庭菜園をしてみると
そこには現実の哲学「生と死の話」が転がっていました
ツルの上で育ち始めたカボチャが、、死ぬ
その事実をめぐって、
地主さんと自分は
哲学を論じているようです
皆さんは どっちだと思いますか?
どちらにしろ、、
植物にも考える能力があり、
色々と悩んで この悲しい道を選んだのだろうな~ と、
とても感動しています

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壮絶な哲学があると思っています
昔(小学生の頃)
NHKの人形劇で 「チロリン村とクルミの木」という番組を見ました
チロリン村に住む「野菜族」と「果物族」のお話です
そこでは時々2つの族で言い争いが行われます
トマトさんは 果物か? 野菜か?
自分は子供ながらに トマトって良いな~ どっちにも入れる♪
そんな解釈をしていました
その中の挿入歌で かぼちゃさんの歌(?)だったでしょうか、、
その歌が大好きで 今でも畑で歌っています
かぼちゃさんには~♬ かぼちゃさんには~ 何が大切な、の、か~♬
そりゃ~ツルだ~♬ そりゃツルだ~♬
ツルがなければ 育ちゃせぬ~♬ そ~だ~ちゃ~せ~ぬ~♬

それほど大切なツルを
今、この年になって
あらためて 実感しています
ツルが伸び 親ヅルから子ヅルが出て
子ヅルから孫ヅルが伸びてきます
子ヅルや孫ヅルにカボチャが着果し、
そのなかには 自分に水分や栄養分を送ってくれる、
親ヅルの上に出来るものもあります
すると、、
十分に育つ前に
カボチャは成長が止まり 腐って消えていきます
この現象を農家さんは
「自分の親を守って 子供が自らの命を絶つ」とおっしゃいます
自分は
「親が 自分と ツルの先に着いた他の子供(かぼちゃ)を守るため
上に乗っかった1個の子供を犠牲にする」 と、反論します
まるで、、
哲学です
昔(中学生~青年期まで)に哲学の本も読みましたが
難しく言葉を並べてはいるものの、
つまるところは 「生を論じ」 「死を論じる」
そこにたどり着く話のように思えて読むのをやめました
悲しい気持ちになるのが嫌でした
でも
家庭菜園をしてみると
そこには現実の哲学「生と死の話」が転がっていました
ツルの上で育ち始めたカボチャが、、死ぬ
その事実をめぐって、
地主さんと自分は
哲学を論じているようです
皆さんは どっちだと思いますか?
どちらにしろ、、
植物にも考える能力があり、
色々と悩んで この悲しい道を選んだのだろうな~ と、
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